伊原秀紀のプロフィール

伊原塾塾長:伊原秀紀

こんにちは。
塾長の伊原秀紀です。

結構長いプロフィールです。
私がこの道に入った経緯を、含めたものになっています。

よろしければ、ごらんください。

私は親の都合で
小さいころからおばぁちゃんの家でお世話になる事が多く

色々助けてもらった
そんな、大好きなおばぁちゃんの肩もみをしていた子供です。

「すごく、上手いねぇ!」なんて言われ
気を良くした私は
喜んで、しょっちゅう肩を揉んでいました。

世の中の、まか不思議な出来事
といった事にも興味があって

  • ミステリアス系の本
    (雑誌ムー・トワイライトゾーン)
  • 中国武術
  • 気功
  • 陰陽五行
  • 宗教系
  • 昆虫図鑑(虫も好きだったから)

こんな風に
小さい頃から、非常にたくさんの本を読んでいました。

ちなみに
武道を習うことになったのも、こういったことからです。

人より早くに治療家としての進路を決める事になったのは
親戚に医者が居たことや
小さいころから、おばあちゃんにマッサージして、喜ばれていた事などがあります。

そして私は、関西鍼灸短期大学を卒業しました。

その学生時代も含めて
5年間ほど、大阪の鍼灸院に弟子入りしました。

弟子入り時代

大阪にて弟子入り時代の伊原秀紀

弟子入り時代の写真です。

弟子入り。

決して楽なものではない、という事は
はじめから、分かっていました。

それでも、そのあまりの苦しさ・しんどさ
といったものに

心が何度も
折れそうになりました。

早朝
まだ眠気の残る中。

普通の人なら
まだ寝ている時間です。

身支度を終え、家を出ます。
暗く人気(ひとけ)のない道を歩いて

大阪:阪急電鉄
服部駅(現在の服部天神駅)に向かいます。

毎日、始発電車に乗るためです。

阪和線
熊取駅に着いたら歩いて
次は自転車に乗っての通勤です。

長い道のりです。

仕事といえば、
勿論厳しいです。

師弟関係というのは、
師匠の言う事は、とにかく絶対なのです。

私:「これ、絶対こっちだと思うんだけどなぁ・・。」

といったことでも
決して師匠に意見することなど、許されないのです。

例えば、一般的なカラスは黒い色をしていますが

師匠がカラスは白だと言うなら、弟子は白と言う以外の
選択肢は無いのです。

当時、そういった事に反発していた私は
師匠から、よく怒られていたものです。

それでも、口伝といって
その師匠からしか、得る事の出来ない知識や技術といったものの

教えを乞う為

あの手この手で師匠の機嫌を良くして
なんとか教えてもらおうとしたものです。

口伝というのは
師匠が、「この弟子気に入らないな」と思って口を閉ざしてしまえば

手に入れる事が出来ない知識や技術の奥義なのです。

最初は、そんなことが分からず師匠に反発し
嫌われていた私は

なんとかして信頼を得ようと必死でした。

弟子入り時の資料

他には、当たり前に
覚えなければ、いけない事。

自らで勉強して
習得しなければならないような技術もあります。

院内掃除に、片付け・挨拶。

懸命にやっても

貰える給料といえば
弟子の額。

自由に使うには
全くといっていいほど
足りないのです。

かといって
バイトできるような
時間も、ありません。

学会で発表しているところ
学会で発表しているところ。

仕事が終われば
終電で帰ります。

寝るまでの時間は、勉強に当てます。

貧乏暇なしとは、まさにこの当時の状況ですね。

そしてまた明日が来たら
早朝起きる。

こういった、ある意味
全く自由のない、決まりきった規則的な生活。

時代はバブル最中。
若者がはじけている時代です。

私にとってはバブルなんて
意味もなく、自由といったものが全くない毎日。

今で言うなら
うつにでもなりかけた状況の中、唯一の救いがありました。

時間のない私にとって
通勤電車は、貴重な時間。

この時こそ
自由に、それこそジャンルを問わずに本を読み漁りました。

本を読む事が、私の唯一の心の支えだったのです。

それは5年間続きました。

今でこそ
5年など、あっという間に思います。

でも、あの当時の私にとって
5年という期間は
まるで永遠に続くかのように感じていました。

なかには、当然
耐え切れずに
辞めていく人もいました。

でも、私は決してあきらめなかった。

弟子として
無事に修行を終えたことは
私にとっては大きな偉業を成し遂げたようなものです。

本当に
心から、ホッとしたのを覚えています。

日本初のクイックマッサージ店へ

次は「就職」という意味では初めて勤める事になった
クイックマッサージ店。

日本初のクイックマッサージの店舗

弟子入り時代があったおかげか

社長が
私の仕事に対する「姿勢」と「技術力」といったものを
えらく気に入ってくれた事もあって

割と早い段階で
アルバイトから社員を経て、役職に就くことになりました。

そこは
日本初の
クイックマッサージ店。

マッサージの
マニュアル作成・技術指導などを行いながら
10分~40分と

クイックマッサージのマニュアル

非常に短い時間ながらも、毎日
たくさんの人を、マッサージしました。(指名売上トップというのは、自慢の一つです)

そんな短い時間の中でも

私を指名してくれた
たくさんの人との出会い。

今でも忘れられない、良い思い出です。
(これも、厳しい弟子入り経験あってのもの)

伊原鍼灸院開業

伊原鍼灸院開業当時屋外
木の看板は開業祝いで頂いたもの

兵庫県神戸市の岡本にて
伊原鍼灸院
開業当時の写真です。

念願叶っての、自分の施術所。

弟子入り当時の
師匠からはお祝いに、ということで

壁掛け時計をプレゼントして頂きました。

開業当時に頂いた書
開業祝いに患者様がくださった書

この時
クイックマッサージ時代から、私の評判をご存じだった
患者様がいた事もあって

駅から離れた
不便な場所にも関わらず
たくさんの方々が、来てくださいました。

伊原鍼灸院開業当時院内

そして私の技術が
上がれば上がるほど
治療の難しい患者様が、来られるようになっていきました。

開業当初は考えていなかった事。

それは
鍼灸治療だけでなく、あん摩マッサージ指圧師の免許も取得したい。

自分の実力を、もっと知りたい。
試したい。

そんな気持ちが
徐々に強くなっていきました。

そして、ついに東京に行くことにしました。

仕事も学校も決まらないまま
一抹の不安を携え、引っ越す事を決めました。

東京へ

勢いだけで東京へ来たものの
土地勘といったものが、まったく無かったため

私は、どこかへ行くにつけ
よく、道に迷っていました。

朝は、自宅最寄り駅
東京メトロ成増を自転車で出発。

13~14kmほど漕いで、後楽園にある学校まで。
授業が終われば、今度はアルバイト先の練馬まで自転車を漕いでいく。

雨の日も、風の日も、雪の日も。

真夏の太陽に照らされる時期は裸になると
まるで、Tシャツを着ているかのように日焼けして真っ黒でした。

またも再び、貧乏暇なし時代に戻ってしまいました。

練馬に着くやいなや
夜までマッサージ店でバイト。

この時、バイト先でも出張があって
自転車に乗る事もありました。

道に迷う事も多く、東京は神戸と違って方向感覚が分からなくなりがちです。

出張先になかなか到着できず、お店やお客さんに迷惑をかけてしまうなんて事もありました。

仕事が終わったら、再び練馬から成増まで、自転車を漕いで
やっと帰宅。

すっごくハードです。

学校と、仕事。
今なら、考えられないような
厳しいスケジュール・体力とで
毎日が過ぎていきました。

加えて言葉の壁といいますか
なかなか、東京になじめなく

もはや「関西に帰りたい・・・。」なんて。
なんでやねん

弱音を吐く事もあったり・・

体力・気力・年齢的な疲れなど
弟子入り当時とは
また違ったしんどさも、ありました。

アルバイトしていた
自由ヶ丘マッサージ店でも、かなり肩の凝ったお客様が多くいらして
そんな方ほど、いつの間にか私を指名するようになっていました。

それはそれで、しんどかった事も多かったけれど
たくさんの人が私を指名したという事は、うれしく、誇りでもあるものです。

しかし毎日と言っていいほど、へとへとになって、家に帰る。
そんな日々が続きました。

東京では本当に色々、苦労が多かったです。

資格も得て無事に
関西に戻って来る事が出来たのは、今でも本当に良かったと思っています。

ちなみに、長く東京の地に住んでいても

結局最後まで関西弁というのは、抜けませんでしたね。

なんでやねん。

現在

講義の1シーン

現在は、訪問鍼灸マッサージで勤めつつ
セミナー講師
個人レッスンにて
ソーステクニックの技術指導をしています。

講義の1シーン

厳しい修行を経て、取得した知識や技術。

実費というシビアな世界。

たくさんの施術経験と、その方法を通して
自らで得た、技術や知識。

これらは、私にとって
かけがえのない、宝のようなものです。

この宝・・といった技術を、たくさんの人に
知ってもらう。
そして、現場で使ってもらう。

これが、今の私の想いです。

講義の1シーン

難しい施術をたくさんしてきた私だからこそ
伝えられる事があります。

この技術は、必ずといっていいほど
すべての指圧・マッサージの施術をする人(セラピスト)に役立つもの。

指圧・マッサージの根源的な技術です。

何でもそうですが
「基礎が出来てこそ!」です。

ソーステクニック・ボディケアの技術講義
あなたもぜひ、受けにきてくださいね。

講義終了の1シーン
世界の指圧師KENさんと、コラボさせていただく事もよくあります

世界の指圧師KENさんは
私の事を、師匠と呼んで慕ってくれており、セミナーをさせていただく事もあります。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。

圧の法則~ソーステクニック・ボディケア
【個別レッスンは限定で生徒募集】

講義の1シーン

伊原塾では只今
個別レッスンの生徒を限定で募集しています。

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下記↓の文言を入れてご連絡ください。
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伊原が折り返しの連絡を致します。

(人数に限りがあります)

塾長:伊原秀紀

ソーステクニックの技術を使って
施術することは

総合的な技術力の向上

あなたの身体を痛めない事

さらに
身体も疲れにくくなります

これは、長く
セラピスト人生を続けて行くために必要になる

施術のための技術が
一同に集まった、総合的技法ともいった施術法です。

講義の1シーン

【経歴】

関西鍼灸短期大学卒業(現:関西医療大学)

5年間:弟子入りにて、鍼灸及び各種手技療法を伝授して頂く。
6年間:日本初のクイックマッサージ店就業。主任、店長、マネージャー、事業部長を就任。
10年間:伊原鍼灸院開業
あん摩マッサージ指圧師の資格取得・実力を試すため東京へ。
4年間:自由ヶ丘マッサージ練馬店勤務(入店3か月で新規指名者数60名以上)+日本指圧専門学校卒業(あん摩マッサージ指圧師免許取得)
3年間:訪問鍼灸マッサージ施術、技術指導の兼任
3年~:現在は兵庫県神戸市に戻り、訪問鍼灸マッサージ施術、セミナー講師の兼任をしています。